憲法の杜 こんなにも美しい日本国憲法

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奇跡とも言える日本国憲法第24条

先月(2017/2月) NHK,BS「アナザーストーリーズ「誕生!日本国憲法~焼け跡に秘められた3つのドラマ~」

で、初めて知ったのだが、第24条 誕生に隠されたドラマ。

それは奇跡としか言いようがない。

24条の草案作成者

それは、当時GHQに所属、22歳の女性 ベアテ

ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon, 1923年10月25日 - 2012年12月30日)は、アメリカ合衆国舞台芸術監督、フェミニスト。ウィーン生まれでユダヤウクライナ人(ロシア統治時代)の父母を持ち、少女時代に日本で育った。1946年の日本国憲法制定に関わった人物として知られており、このうち2012年まで存命した唯一の人物であった。
22歳で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の人権条項作成に関与した。

 

/ ウィキペディアより

GHQと、聞いて偏見を持たれるだろうが

彼女は、少女時代(5歳から15歳)まで日本に在住なのです。

つまり物心ついた頃から多感な思春期は日本人として暮らし

日本語はもちろん、日本の風習、しきたり、

美しいところ、そうじゃない部分も、すべてわきまえていたと考えられる。

15歳から7年間、単身アメリカ留学な彼女。

終戦を迎え、日本で離れ離れだった両親を捜すべく、再来日。

それで語学堪能(当時彼女は6ヶ国語に精通とか)を見込まれ

GHQでの憲法草案づくりに参加となるのである。

一家とともに暮らしたのは、父母のほかに、江の浦(静岡県沼津市)出身で網元の娘の小柴美代らお手伝いさんと、エストニア人の英語教師。小柴美代は、とりわけ身近に接した日本人女性だったため、ベアテの精神形成に大きな影響を与えたとする指摘は多い。 日本女性の地位の低さを、小柴美代から「子守歌のように」聞かされていた経験が、のちに憲法24条草案を積極的に書かせる動機になった、との指摘も。

/ウィキペディアより

それで、彼女が関わった24条とはどのような条文なのか、

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

結婚は、男女の合意にもとづき成立。。

今ではごく当たり前の常識。

次の

夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。。。

これも、今や常識。男女平等が謳われているに過ぎない。

しかし

しかしなのである。

なぜ わざわざと条文なのか。

それは 当時の日本において 真逆な時代だったのである。

草案づくりにあたって彼女はアメリ憲法も参考にしたという。

だが 奇跡と思えるのは

夫婦、男女平等については 当時のアメリ憲法にもなく、

女性としての理想や夢を込めた草案だったのである。

 

ちなみに

鈴木邦男氏著「憲法が危ない!」によれば

私がかつて「諸悪の根源である」と攻撃対象にした憲法について考えを見直すようになったのは、ベアテさんと知り合ってからだ。(中略) 日本国憲法は日本を弱体化するためにアメリカが作って日本に押し付けた憲法ではあったが、同時にアメリカでも実現していない民主的な憲法を作ろうという夢や理想を持って作ろうとしたスタッフが多数いたことがわかった。

 

この項目、鈴木氏の次の言葉をお借りして終わります。

自主憲法を制定しようと政府自民党の政治家は言うが 自主憲法によって国民の自由が制限されるなら そんな憲法はいらない。 自由のある押し付け憲法の方がいい。